うのみちゃん

最近
私は人の意見をうのみにすると言われたので
考えてみた!
それって自分の意見がないってことなのかな?
と思ったのだ。
それは悲しい。
確かに納得する話には簡単にうなずく。
人の性格を変えようと奮闘していた私が
なかなか難しくてストレスがたまりこみ
友達に相談したところ
「ばか!人の性格なんか変えられないよ!
そんなことやめなさい!」
と言われ
「そっかー」
と納得。
以後、その熱意を諦めたら
気分が楽になり
ストレスも消えた。
でも、それってうのみにしているのではなくて、
言われたことを真摯に受け止め
実行し
そしてそれが事実だと理解しているわけで
それって、もう自分のものになっているのではなかろうか?
さすがに人に言われても
納得できないことはうのみにしないよ〜。
ちゃんと自分の中で消化してる、、、はず。
前にも書いたが
会社の執務室内の気温が暑過ぎて
冷房を入れようとしたら反対され
「お前が厚着しすぎなんじゃ!」(←実際はこんなひどい言葉は掛けられていない)
と言われ
「そっかー♪」
と思いなおし
半袖夏服にしたら快適になった。
そして周りとのいざこざも消えた。
確かにうのみにして実行している。
でも、解決してるからいいじゃん?
これって自分がないってことなのかな?
考えると止まらないが
人が変わらないなら
自分を変えよう!
って最近思い始めた。
自分しか味方はいないのだ。
誰もあてにはできない。
でも自分なら信頼できるし
あてにして、もし期待を裏切られても痛くない。
やっぱり自分はかわいいよー。
他人よりは。
嫌いになんてなれない。
自分の中に嫌いな性格はあるかもしれないけどね。
それにしても
上の話とはまったく関係ないが
人間にとって
怒りとは大切な原動力だ。
それによって生かされていると思う時がある。
必要悪?
怒りで元気になるのだ。
そして、無事怒りが収まるとそれはそれで嬉しい。
それが変な方向に行かないように
コントロールしなければならない。
怒ってストレス発散してるのかもね。
喜怒哀楽は大事です。
人間にはどれが欠けても
いけないのです。
今持っている自分の気持ちを大切にしよう。