変わらない

昨日はお友達からお電話もらいました。
そこで、話していて
自分は変わりたくないのだと気付きました。
自分を変えるとか
今よりもっとよくなるとか
自分を開花させるとか
そういう言葉に拒否反応を示しました。
さらに
今の自分に不満があろうがなかろうが
自分を変えるのは自分であって
決して他人であってはならないと思います。
でもそれは人それぞれ。
自分で変われない人は人の力が必要だと思う。
だけど私には必要ない。
もちろん私だって完全な人間ではない。
でもそれなりの価値観があるのだ。
頼った時に
変われるよと手を差し伸べるのが友情であり
今の自分を無理に変えようとするのが友情だとは思えない。
それはちょっと変えたいと思う側の思いあがりかな?
考え方の違いもあるので
私のような人間の場合は、と言うべきだろうか。
変わった方がいいのにね、と
たとえ周りの人間100人が思っていたとしても
自分が変わりたくなければ
変わる必要はないと思う。
もし、誰かの話を聞いて自分が変わったとしたら
それは既に自分ではない。
変わってしまった別人の自分だ。
洗脳とも言う。
洗脳されてまで変えるのはなぜ?
そんなに素晴らしい自分になりたい?
私はなりたくない。
なぜ、こんな風に自分に手が差し伸べられるのかはわからない。
それは自分の落ち度だろう。
そうさせてしまう何かがあるのだ。
それは反省しよう。
だけど、私を変えようとするその姿勢に何か違和感を感じた。
だから申し出をお断りした。
彼女にしてみれば
親切心からやってくれたこととは思うが
もう前のような友情の均衡は保てないと思う。
なぜありのままの自分を受け入れてもらえないかと
不審に思う人もいるということに気づいていないのだろうか?
きっと自分が良く変わったので舞い上がっているのだろうが
その時点でその人の精神は平常心ではない。
そんな人の話を誰が聞く?
冷静な時に話を聞きたい。
そしてどん底におちた時にもう一度話を聞いてみたい。
だけどどうやらその自分変更プログラムには常習性があるようで
もっとよりよい自分を作るために何度も何度も繰り返さなくてはならないらしい。
もちろん途中でやめてもよい。
だけど、一度変わるとなかなか途中で止められないのが人間だ。
そうして繰り返し繰り返し同じことを聞かされて
何度も何度も洗脳されていく。
私は、実はそういうことを何度か経験したことがある。
なんとも情けない引き際だったけど
あとから考えると
そこの輪の中にいるよりは
たとえ現在不幸であったとしても
今の環境を選ぶだろうと
今蚊帳の外にして思う。
だからその手の話にはピンとくる。
いや実はこういう話を聞かされるのは3人目だけど
3度とも断っている。
続かない。
自分を失いたくないからだ。
自分が自分のものだけであること
これが私には大事。
もし、私がとてつもなくいい人に生まれ変わったとしたら
それは偽物の私です。
そんな自分にはなりたくない。
いい人間が満足のいく自分とは限らない。
いい人間とは私にとっては最低な自分のことです。
と思う。
ま、考え方なので。
お友達のことは否定しません。
それなりの成果を得ているようです。
だけど、私は他人の手を借りずに自分で成長したい。
それが私という人間です。